じゃにすろのアルティメット散歩

キラキラした毎日を送っていない大学生が日々思うことを書くブログ

下を向いて歩こう

お久しぶりです。じゃにすろです。

11月に様々な資格試験が被っていたため(言うて2つだけなんですけど)、しばらくお休みしていました。

今日から復帰です。よろしくお願いします。

 

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先日、ゼミの先輩で現在は大学で講師をされている方から「一緒に研究しよう」ということで1日中朝から晩まで各々の研究を進めるということを行いまいした。

その際には、先輩の知り合いで、またまた別の大学で講師をされている方に研究室をお借りして、先輩とそのご友人、そして僕のゼミの同期の合計5人でひたすら研究を進めました。

 

先輩のご友人が講師をされている大学はとても規模の大きい私立大学で、普段見慣れている自分の大学との差異に驚くことばかりでした。

木々も綺麗に色づいており、綺麗な校舎とともにとても良い景観でした。そんな見慣れない風景に

「めっちゃガラス張りやん!」「学内にエスカレーターあるし!」「外観めっちゃ綺麗やん!」

と、見たものから感じたことをそのまま言葉にしていました(笑)

 

そんな時に、ふと、

木はいっぱい植えてあるのに落ち葉は一つも落ちてないな~

と気づきました。

大規模な私立大学ということで、掃除も隅々まで行き届いている証拠です。

さすがだなと感じるとともに、僕の中では少し寂しいなという気持ちが芽生えました。

木々や景観というのはもう殆どが人工的に設計されて、綺麗に美しく見えるように配置されています。そういう風景を見るのも個人的には好きです。

しかし、春の桜はもちろんのこと、秋は落ち葉も含めて楽しみたいです(笑)

落ち葉は設計されたものではありません。木々で色づいていた葉が落ちてくることで、足元も綺麗な色で埋め尽くされる。そして少し枯れた葉の上を歩くことで「サクッサクッ」と小気味よい音が聞こえる。そういったものも含めて秋だと思います。

上を見ながら綺麗な木々をみて歩くのも良いですが、たまには下を向いて歩くのもまた一興だと思います。

 

 

 

桜散る桜散る お別れの時間が来て

「ちょっといたい もっといたい ずっといたいのにな」

うつむいてるくらいがちょうどいい

地面に咲いてる

 

 

www.sugar-salt.com

 

上の歌詞は、クリープハイプ尾崎世界観さんが書き下ろした『栞』という曲の一節です。

今日の僕の記事とは文脈も違うし、曲に込められたメッセージにもいろいろな意味が含まれていますが、

下を向きながら歩くのも良いんだよ

と肯定してくれる、僕の大好きな曲の内の一つです。

 

よければ聴いてみてください。それでは。

 

大学生の僕は、大学生が嫌いです。

ラグビー、バレーに引き続き野球の世界大会も始まりましたね。国を背負って戦う選手たちはどんな姿であれカッコよく映ります。

そしてずっと野球を続けてきた僕としては、バレーやラグビー以上に野球が盛り上がるために、何としてもこの大会で日本に世界一になってほしいと願いながらテレビの前で観戦している私、じゃにすろでございます。

 

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先日、幼稚園から高校まで同じ学校で一緒に野球をしていた友人が、大学での部活動であと3つ勝てば日本一だというところまで勝ち上がってきており、その友人の試合を応援しに行きました。

 

高校まで10数年間時間を共にした友人が、全国屈指の強豪校で活躍している姿は自分のことのように誇らしく、本人には伝えませんでしたがカッコよかったです。

 

やっぱり部活動に真剣に打ち込む大学生って素晴らしいと、個人的には思います。

 

僕の大学では硬式野球部がそれこそ毎日毎日必死に練習しており、国公立校でありながらも神宮へあと一歩というところまで勝ち上がっておりました。

僕は、そんな大学で真剣に部活動へ打ち込む硬式野球部の部員には、いつも尊敬の念を抱いております。

僕自身、大学での部活動では全国への切符は手にできませんでしたが、西日本大会までは勝ち進むことができましたし、並行して大学での研究活動では他大学との論文発表会では最優秀論文賞を受賞することができました。もちろん、僕一人の力では絶対に達成できず、仲間の力があってこその成果です。

そして、そんな環境にいるからこそ、世間がイメージするような一般的な大学生を見ると、「もったいないなあ」と思います。

もちろんサークルや遊ぶことも大事だとは思いますが、それって僕からしたら「カッコよくない」んですよね(それはあくまで僕自身の価値観であり、何が大事なのかは人それぞれだということは重々承知しております)。

 

これで、タイトルの意味はお分かりいただけたかと思います。

僕は「頑張っていない大学生」が嫌いです。

 

 

でも、頑張っているか否か、ということの比較対象は他人ではなく、自分です。

僕は僕自身が頑張っていると思えればそれでいいのだし、他人が頑張っていない(ように見える)ことなんて僕には関係ないことなんだと思いつつも、でもやっぱり頑張っていない大学生ってもったいないなあ~とかを考えながら、悶々としたところで結びとさせていただきます。

 

 

友人は無事に勝利し、日本一まであと2つです。

もちろん次の試合も応援しに行きます!

 

 

 

 

手越君と天声人語

急激に冷え込みましたね。みなさま、体調管理を万全に。

後期の水曜日の朝は講義があり、9時ごろには窓のそばに植えてある木にメジロ(おそらく)が行ったり来たりしています。しかし今日はいつもと違って9時30分ごろにメジロたちがやってきました。先週よりも朝が冷え込んだから、メジロたちも朝はゆっくりのスタートだったのかななどと思いながら講義を終えた私、じゃにすろです。

 

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今回のタイトルの手越君とは、みなさまお察しの通りNEWSの手越君です。

手越君は僕の担当ではないのですが、その圧倒的歌唱力とバラエティでの活躍をみると、努力の人だな~といつも思わされます。

そういうこともあり、手越君のテレビや動画もよく見ます。

 

確か数年前、世界に行ってくる系の番組で、チャラい手越君を変えるために、現地で暮らす海外の方と一緒に生活をするという企画がありました。

そのため、手越君が持ってきたもの(携帯はもちろん、服もゲームもタブレットなど)をすべて没収するんです。タブレットでコンサートのチェックをしているという手越君、さすがです。

 

要するに現代の生活を離れて、現地の生活を体験するということですね。

そしてその生活を終えた手越君は、

今の人ってさ、携帯を人間がいじってるんじゃなくて、携帯に人間がいじられてるんだよね

とインタビューで答えます。なんともコペルニクス的転回ですよね。

 

このことに関しては、僕も普段よく感じていました。電車を使えば駅や電車内ではもうほとんどの人が小さな画面にくぎ付けです。もちろん、スマホで仕事をしている方が大勢だと思います。ひとたび街を歩けば歩きスマホはもちろんのこと、イヤホンで音楽を流しながら自転車に乗る人もいます。もっと驚きなのは、小さな子供を後ろに乗せているのにも関わらず、灯りもつけずにスマホをみながら自転車を運転している母親が僕の地域ではよく見られます。

 

それって人間のあるべき姿なのか?と疑問を抱かされます。

 

大昔から哲学者を悩ませてきた「人間のあるべき姿」や「善とはなにか」「理性とは」という問いに対して自分なりにちょっと模索したりもします。

そんなことを考えながら過ごしているわけですが、昨日は午後の予定が何もなかったので、急遽、電車で1時間ほど揺られながら祖父母に顔を見せに行きました。就職すればなかなか顔を見せることも難しくなりそうだったので。

 

僕の実家は日経新聞を購読しているのですが、祖父母は朝日新聞を購読しています。 

久々に朝日新聞を手に取ったちょうどその日の天声人語には、筆者の方が映画館で映画を待っている時の体験から感じたこと、そこから日常風景へと展開し、文学への接触を経て結びとします。

というのも、筆者の方が映画館で上映時間を待っている時に、他にも5,6人の人が映画を待っていたそうです。そしてその全員がスマホではなく、本に目を落としていたのだそうです。それが筆者の方には何か懐かしい風景を抱かせ、今回の天声人語を執筆されるに至ったようです。

 

別に手越君も筆者の方も、そして僕自身も「スマホを見ることが悪いことだ」と言っているわけではありません。ただ、そうした日常にふと疑問を抱く瞬間があったのだと思います。僕自身、電車内でも軽い連絡や情報のチェックなどはしますし。

けど、画面上に流れる「文字」は、本に書かれるものとは「重み」が違うと思います。

 

特に中高生にとっては、SNS上のつながりがほとんど全てであると感じてしまいがちだと思います。そこで流れる「文字」は、平易な言葉で人を刺激しようと、誰にでも伝わりやすいものが使われます。中高生には、脳を停止してそんな平易な言葉に揺さぶられずに、自分がふと日常で感じることを、単純な一言で終わらせるのではなく、上手く伝えたいけど伝えられないみたいなもどかしさを経験してほしいなと、感じた日でした。

 

 
そして僕が普段考えていたことを、うまく手越君が言語化してくれて、そして天声人語の筆者さんが独自の展開をされたことに「僕の疑問に対して同じことを考えている人がいるんだ」ということに妙な安心感を抱きました。
 
 
なにぶん、普段こういうことを話す友人がいないもんで(笑)。
そして僕は天声人語の筆者さんのように、うまく結びに持っていけないなあと感じたところで結びとさせていただきます。

 

来週は何時頃にメジロたちはやってくるのかな~と、楽しみにしております。

 

 

 

 

髪切って軽くパーマ当てたら女子高生から褒められた

みなさんこんにちは、11月に入りましたが卒論は進捗がなかなか無く…というジャニーズ応援歴11年の男子大学生、じゃにすろです。

 

髪を切って軽くパーマを当てました!!!

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↑ この北斗を参考にしました。

 

いつも初回割を使うので、今回行った美容院はカットとパーマで6500円とお手頃。

僕の担当をしてくれたのが30代ぐらいの女性でした(年齢高く見積もってたらすみません、僕を担当してくれた美容師さん)。

 

一応男性も来るらしいのですが、僕が行ったときは他のお客さんも含めて全員女性。

「これはいつかSixTONESのライブに行くときの練習だ」と思い、美容師さんとの会話を楽しむことに。

 

約2か月振りに髪を切ったのですが、もう伸びに伸びまくっていたので美容師さんもちょっと大変そうでした。いつも言われますが、僕は「髪が多い」のだそう。

「髪が多いって、他の人とどう違うんですか?」とか

「美容師さんが一番難しい作業って何ですか?」とか

はじめてパーマをしたので「この工程では何をしているんですか?」などなど、会話の中から生じた疑問に丁寧に美容師さんも答えてくれました。

 

初対面の美容師さんとの会話で気になったことを色々質問できるようになったり、そもそもこんなに人と会話できるようになったりと、高校の時から自分も変わったな~、

と、パーマが効くのを待ちながらしみじみと実感。

(そもそも高校時代は丸坊主で、自分で刈ってました)

 

そして無事にパーマもカットもおわり、なんとも満足のいく形に仕上げてもらいました。

去り際に「ありがとうございました」とお辞儀をしたら、僕の気持ちが伝わったの、美容師さんもとてもうれしそうな顔でお見送りしてくださいました。

 

 

そして次の日、バイトに行くと、同じ時間から入っていた女子高生が「〇〇さん髪切ったんですね! そっちのほうが似合ってますよ!」と言ってくれました。

 

普段はバイトの領域(いわゆるキッチンとホール)が違いますし、僕のバイトは時間が毎回決まっていないので、あまり会話する機会のない子だったのですが、そう言ってくれたのは正直に嬉しかったですね。

 

 

22歳の大学生が、18歳に褒められてうれしくなった、そんな報告でした。

 

『一度読んだら絶対に忘れない世界史』を、本当に忘れないためにアウトプットする

みなさん、こんにちは

 

今回から、複数回に分けて『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』という本の内容をアウトプットしていこうと思います。

(この世に絶対なものってあるのでしょうか…という疑問を、当時絶対であった神をも含め、この世のすべてを疑いの網にかけて思考した人物が、デカルトという哲学者です。気になった方は是非調べてみてください)

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僕はもともと海外に興味があり、そこから世界史を選択、そして哲学や宗教、西洋美術に興味を持っています。

 

こちらの本は、かの中田敦彦さんもYouTube上で配信した動画の元ネタとなっております。

もちろん、中田さんのYouTubeでの動画は見ましたが、どうもインプットだけではもったいないと思い、自分で読み、アウトプットしていこうと思い立ったまでです。

 

 

 

今回はまず序章から。

序章は、壮大な世界史の物語の出発点、「人類はどこから来たのか?

という点から始まります。

 

おおまかに次のことが分かっていれば良い章だと思います。

人類は

猿人原人旧人新人

という流れで進化してきた。

 

  • 猿人・・・アフリカで出土した「アウストラロピテクス」を代表とする、最古の人類。まだ言語も火の使用も無し
  • 原人・・・アフリカ以外に広がり、石器や火の使用を音声程度の言語の使用を始めた。
  • 旧人・・・ヨーロッパに分布していた「ネアンデルタール人」が代表。埋葬の習慣と、石器を用い、最古の戦闘の痕跡もある。
  • 新人・・・ヨーロッパでの「クロマニョン人」を代表とする。現在の我々とほとんど変わりはないが、未だに狩猟と採集が中心。

 

そして、今から約1万年前、それまで寒冷であった地球が温暖化し、現在のような気候に変化した。

温暖化により動植物も多様を極め、モノを採るだけでなく、モノを作って食べるというライフスタイルが始まった。

加えて、温暖化が中緯度地域での乾燥を生み出し、水を求めて大河周辺に都市が形成されるようになった。

 

 

序章のポイントはこんな感じです。

 

さらっと書かれているけど、出土したものから年代や習慣、投資の生活様式などがわかるって凄い。

 

それが真実かどうかという疑いの目は常に持っておかなければなりませんが…

 

そう、デカルト懐疑主義です。

我思う、ゆえに我あり」です。

 

それでは続きはまた次回以降で、お会いしましょう。

僕が哲学にハマった理由を考える。

みなさん、こんにちは

 

ジャニーズ応援歴11年の男子大学生、じゃにすろと申します。

 

今回は、僕が哲学にハマった理由を考えてみようと思います。

ハマったといっても、哲学の表面の表面をなぞる程度ですが…笑

 

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そもそも僕は大学で哲学を専攻しているわけではなく、僕の専攻は経営学です。

中でも経営戦略論を主としています。

しかし、今自分が行っている経営学の研究のために読んだ本や論文を除けば、大学生活で一番読んだのは哲学系のものになると思います。

 

 

 

僕は普段からぼーっとしつつも色々考えるのが好きです。

この「考える」という作業は、哲学の本を読んだことで身についたと思います。(もちろん、大学での研究生活も大きく影響していると思います)

 

 

最近は大学生活も残り半年だからか、「自分はこの先どうなりたいんだろう」とかを考えたりしています。

 

そんな時にふと、「そもそも自分はなぜ哲学にハマったのだろう」と思いました。

そして自分なりに色々振り返ってみました(ここでは、過去に立脚する時点で原因論や経験論に依拠します)。

 

汚い字ですみません(笑)。

今回は僕がやっていることをそのままお伝えしようと思います。

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僕は考えたことをメモするときは、こんな感じでマップのようにメモをしています。

どこがどことどうつながっているのかなどを可視化するためです。

 

以下で詳しく述べていこうと思います。

 

「なぜ哲学にハマったのだろう」という問いを出発点とすれば、僕は幼少期にその原因があると感じました。

 

僕は幼少期には、英会話というよりも英語の言葉遊び教室のような所に通っていました。

その経験から、海外に興味を持つようになります。

 

加えて、母親が子供に向けて図工教室のようなことをやっていたので、絵を描いたり何かを作ったりというように、僕は幼少期から図工や美術に興味を抱きました。

 

英語教室は小学生の時に辞めましたが、そのまま海外への興味は続き、高校では世界史を選択します。

 

世界史では、ユダヤ教キリスト教をはじめとして、哲学が歴史に多大なる影響を与えていたと知ります。

そして世界史はもちろん、倫理の授業ではじめて哲学者の名前を耳にします。

 

この時はまだ、歴史や社会は暗記科目だという認識でしたし、部活や受験勉強であまり時間に余裕がなく、特に哲学に興味を抱くことにはなりませんでした。

ですが、大学に入ったらヨーロッパの歴史について詳しく勉強してみたいな~という興味は抱かせてくれました。

 

 

無事に大学受験も終わり、時間に余裕が出るようになったので、僕は大学の図書館でヨーロッパ史について本を読もうと思ったのですが、ふと西洋美術に関する本にめが止まりました。

 

学研パブリッシングが出版している、木村泰司氏の『木村泰司の西洋美術史』という本です。

表紙に「あ、よーヨーロッパっぽい!」というような絵がいくつも挿入されており、読んでみようと手に取りました。

もともと美術に興味があったのが大きかったと思います。

 

そこでは、「西洋美術は見るものではなく読むものである」と書かれており、西洋美術には当時の時代背景、とりわけ哲学の影響を色濃く反映していることを知りました。

 

そして、西洋美術を知るためにまず哲学を知ろうと思い、哲学に興味を抱くようになりました。

美術から哲学に入ったことにより、近代認識論に重要な一手を示したカントには特に惹かれました。

 

そして文学部の哲学概論や美学概論の講義を受け、些細な日常に疑問を投げかけ、壮大な論理を展開していく哲学者に強烈なインパクトを受け、そこからさまざまな哲学者の本を読むようになりました。

 

そうしているうちにどんどんと哲学の世界にハマっていったっていう感じです。

 

 

と、以上が僕が哲学にハマるまでを経験から思考しました。

 

こんな感じで、僕はいろいろぼーっとしながら分析したり考えたりしています。

 

それでは今回はこの辺で。

いつか好きな哲学者や好きな本について書こうと思います。

 

 

 

僕が「大学」で学んだこととは? 第2段

どうも、ジャニーズ応援歴11年の男子大学生、じゃにすろと申します。

 

 

前回の記事の引き続き、僕が大学生活で学んだことを書こうと思います。

前回は、僕が大学生活で学んだことは「学ぶこと」とお伝えしました。

 

今回は、それについてもう少し踏み込んでみようかなと思います。

 

そもそも僕は、大学で何か「これがしたい!」といったことが全くありませんでした

よくあるように、サークルに入って~、友達と遊んで~、彼女つくって~、のように、世間が思うような大学生活に興味がありませんでした。

 

部活動も、自分の中では高校野球をやり切ったという思いが強かったので、入るつもりはありませんでした。

それでも、学部が一緒で知り合った友人からの熱烈な誘いを受け、入部することになったのですが…笑

 

そんな僕が興味を抱いたのが、とある国際団体でした。

そこでは、学生たちが様々な社会問題を解決するために試行錯誤を重ね、実際に様々な方法で社会問題の解決に当たっています。

 

僕はその学生団体が行っている「内容」ではなく、そこに所属している「」に興味を抱きました。

 

高校までの僕は、野球部であったり、サッカー部やラグビー部というように、活発で明るい人たちとばかり関わってきました。

そんな僕には、その国際団体に所属する人たちはほとんどが初めて接するような人ばかりでとても驚きました。

 

ブロックチェーン技術ってアツくない⁉」と言って、実際にブロックチェーン技術を用いて事業を行っている台湾のスタートアップ企業にインターンシップへ行った先輩。

 

「俺は四国から来たから、やっぱり地元の地方創生に携わりたい」と言って、さまざまな地域貢献活動を経験し、就職先も四国の大手インフラ企業に決めた友人。

 

環境問題を深刻にとらえ、地球にやさしい製品の開発に携わったり、実際に活動することで講演会などにも呼ばれるようになった友人。

 

などなど、例を挙げればキリがないです。

 

そして、そのような人たちとともに時間を過ごすうちに、自分の中で疑問が生じます。

 

そもそもなぜこの人たちは、このようなことに興味を持ったのだろう。」と。

 

正直、僕は上記のブロックチェーン技術や社会問題などには興味が湧かなかったので、何かに興味を持って行動している彼らが正直、羨ましかったのです。

 

そして、彼らから色々吸収したく、言葉を交わしたりする中で、僕と彼らとの決定的な違いは「知的好奇心」と「能動性」であることにたどり着きました。

 

 

長くなりそうなので、今回はここまでにしましょう。

 

 

「僕が大学で学んだこと」とは「学ぶこと」であり、それについてのキーワードは、「知的好奇心」と「能動性」です。

 

それでは、次回またお会いしましょう。